大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和54年(う)545号 判決

被告人 松浦毅

主文

原判決を破棄する。

本件を大阪地方裁判所に差し戻す。

理由

本件控訴の趣意は、大阪地方検察庁検察官検事辻文雄作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、弁護人川崎裕子作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

論旨は、要するに、原判決は、被告人は昭和四六年一一月五日午後八時五〇分ころ普通乗用自動車を運転し大阪市天王寺区玉造本町三番地先道路を走行中、前方注視義務を怠つた過失により横断歩行中の郷原そよ子に自車前部を衝突転倒させ、同女に加療約三か月間の傷害を負わせた旨、の公訴事実につき、本件起訴時においては、未だその公訴時効が完成していなかつたに拘わらず、公訴時効が完成しているとして免訴の言渡をしたが、これは、刑事訴訟法二五四条一項、二七一条二項の解釈適用を誤つた法令違反の結果であり、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、破棄を免れない、というのである。

そこで、所論と答弁にかんがみ記録を精査し検討するに、先ず、記録によれば被告人に対する前記の公訴事実については、昭和四七年二月一〇日大阪地方裁判所に公訴が提起されたが、昭和五三年六月一五日、公訴提起の日から二か月以内に被告人に対する起訴状謄本の有効な送達がなかつたとして、刑事訴訟法二七一条二項、三三九条一項一号により公訴棄却の決定がなされ(同月二〇日確定)、その後同月二七日再度右公訴事実につき、公訴提起がなされるに至つたことが認められる。

次に、本件公訴棄却決定が、右のように長年月を経過したのちになされた経緯は、次のとおりである。

すなわち、(一)被告人は、本件事故当時大阪市住吉区内のアパートに単身で住み、タクシー運転手をしていたが、止宿先を移転する度に運転免許証の住所変更を届け出ずにすますための便宜も考え、かねてから住民票上の届出住所は同市浪速区日本橋東五丁目一二番三号の被告人の両親方にしており、本件事故についての取調時にも、同所を住所と告げており、そして、検察官の取調終了後に略式命令承諾書に署名したことで罰金ですむと早合点し、父親に頼んで罰金の支払方を承諾してもらい、以後約六年間、一身上の都合で実家への出入りを断ち、罰金の支払を父親に依頼した直後に同市内の別のアパートに転居したことを含め、実家には一切の連絡をしなかつた。(二)ところが、右転居後間もない昭和四七年二月一〇日に本件の第一回目の起訴があり、同月一五日には、その起訴状謄本及び弁護人選任に関する通知書が被告人の住所として申告した右両親方に送達され、父親において右書類を異議なく受領したうえ、被告人名義で国選弁護人の選任を請求する旨記載した回答書を大阪地方裁判所に送ると共に、被告人との連絡に努めたが、その間すでに前記のように被告人は転居しており、遂に連絡はとれなかつた。(三)他方、裁判所においては、第一回公判期日を同年三月二七日と定め召喚状を郵送したが送達できず、警察や検察庁等に嘱託する等して被告人の所在調査を続けたが、その所在をつかめずにいたところ(被告人は本件事故後一か月位で勤務先のタクシー会社を退職している)、昭和五三年初ころに至り、被告人が久々に実家に顔を出し、その際父親から裁判所からの通知がきていることを聞かされ、すぐに裁判所に出頭した結果、同年四月一三日に公判期日が開かれたが、同年六月一五日に起訴状謄本不送達を理由に公訴棄却決定がなされたものである。

したがつて、本件は、被告人が逃げ隠れているため有効に起訴状の謄本の送達ができなかつた場合にはあたらず、刑事訴訟法二五五条一項によつて公訴時効がその進行を停止する余地はない。

ところで、原判決が、本件につき公訴時効が完成しているとして免訴の言渡をしたのは、起訴状謄本の不送達を理由に公訴を棄却された前記第一回の公訴提起に公訴時効停止の効力がないと解したからであるが、その理由を要約すると、原判決は、昭和二八年法律第一七二号による刑事訴訟法の一部改正の経過、学説その他の資料等を検討したうえ、同法二七一条二項の「公訴の提起があつた日から二箇月以内に起訴状の謄本が送達されないときは、公訴の提起は、さかのぼつてその効力を失う。」との規定は、同法二五四条一項に公訴提起の効力として規定されている公訴時効の停止をも含めその効力を失うものと定めたものと解すべく、そのように解するのでなければ、とくに起訴状謄本不送達の場合に限つて認められた同法二七一条二項の遡及効が機能する場合がなくなるうえ、本件のように、被告人が逃げ隠れしているわけでなく、国側の手落ちで起訴状謄本が被告人に送達されないような場合にも、被告人の知らない間に公訴時効が停止され、被告人に酷な結果になる、というのである。

しかしながら、右原判決の見解は、公訴提起による時効停止について規定する刑事訴訟法二五四条一項のほか、同法二七一条二項、三三九条一項一号の各規定の文言と前記改正の立法経過に照らし、採りえないものと考える。すなわち、同法二五四条一項は、「時効は、当該事件についてした公訴の提起によつてその進行を停止し、管轄違又は公訴棄却の裁判が確定した時からその進行を始める。」と規定し、明文上何等の例外事由の存在を認めていない。また、昭和二八年法律第一七二号による刑事訴訟法の一部改正以前の、右条項には、前記の本文に続き、「但し、二七一条二項の規定により公訴の提起がその効力を失つたときは、この限りではない。」との但書があり、右改正前においては、起訴状謄本不送達の場合は、同法二七一条二項により、何等の裁判をも要せずに公訴の提起はさかのぼつて効力を失うとともに、前記の但書により、公訴時効も当初からその進行を停止しないとされていたが、それでは起訴状謄本の有効な送達の有無、訴訟係属の有無につき不明瞭な事態となるのを免れないため、前記の一部改正により、同法三三九条一項一号を追加するとともに、公訴提起による公訴時効の停止については、起訴状謄本不送達による公訴棄却の場合を他の事由による公訴棄却の場合と別異に取扱うのをやめることとし、同法二五四条一項から但書を削除し、同項本文の原則に戻ることにしたものであることが明らかである。たしかに原判決のいうように、起訴状謄本の不送達の場合にも公訴時効停止の効力を認めると、同法二七一条二項によつて遡及効を認めた意味が失われるきらいがあり、また逃げ隠れしていない被告人が起訴されたことを知らない間に公訴時効が停止されるという不利益を受ける場合のある(このような場合がしばしば起こることは考えられない)ことは否定し難いが、だからといつて前記のような法の文言と改正の経過を無視して原判決のような解釈をとるべきではなく、そもそも、被告人が無責の場合であつても、一旦訴訟行為として成立し存在するに至つた公訴提起行為が後日無効と判断された場合、これにどのような範囲の効果を持たせるかは立法政策の問題であり、刑事訴訟法は、二五四条一項を設けることにより、起訴状謄本不送達により公訴提起がさかのぼつて効力を失う場合も、公訴提起の手続の無効その他の事由による公訴棄却の場合と一律に取扱い、一旦成立した公訴提起に公訴時効停止の効果を認め、公訴棄却決定の確定により、停止されていた公訴時効が進行を始めるとしたもので、かかる立場も十分合理的な根拠をもつものと考えられるのである。

以上の次第で、本件の公訴時効は、同法二五四条一項により、本件公訴提起に先立つ昭和四七年二月一〇日付公訴提起から右公訴に対する公訴棄却決定が確定した昭和五三年六月二〇日までの間、その進行を停止していたため、本件公訴提起の時点においては、いまだその時効が完成していなかつたのにかかわらず、同法二七一条二項により起訴状謄本不送達のため公訴提起がさかのぼつてその効力を失う場合には、公訴時効停止の効力もこれに含まれると解して同法二五四条一項による公訴時効停止を認めず、本件の公訴時効は、本件の公訴提起の時点において既に完成しているとして、被告人に対し免訴を言渡した原判決には、同法二五四条一項及び二七一条二項の解釈を誤り、実体判決をなすべきであるのに免訴の言渡をした訴訟手続の法令違反があり、その違反が判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、破棄を免れない。論旨は、理由がある。

よつて、刑事訴訟法三九七条一項、三七九条により原判決を破棄し、同法四〇〇条本文により、事件を原裁判所である大阪地方裁判所に差し戻すこととし、主文のとおり判決する。

(裁判官 石松竹雄 岡次郎 久米喜三郎)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例